おしんと共演中いまさらながら、NHKの「中高年のためのパソコン講座」を見た。 ちょうど「文章をローマ字入力してみよう」という回だったので、見ながら「ああ、パソコンを使うことは、事実上ローマ字を知っていることを前提にしているんだ」などということを再認識した。 それと同時に、雑誌やらなにやらで、英語だけでしか説明していない噴出し(例えばBuy CD")とかがあるのに、一般の消費者はあまり不自由を感じていないように思える。 そういう意味では、日本人は英語にかなり親しんでいると言えるのではないか。もちろん、しゃべれない、とは言われるが、十分使えていると言えると思う。 例えば中国に行けば、この意味するところが分かると思う。"> おしんと共演中いまさらながら、NHKの「中高年のためのパソコン講座」を見た。 ちょうど「文章をローマ字入力してみよう」という回だったので、見ながら「ああ、パソコンを使うことは、事実上ローマ字を知っていることを前提にしているんだ」などということを再認識した。 それと同時に、雑誌やらなにやらで、英語だけでしか説明していない噴出し(例えばBuy CD")とかがあるのに、一般の消費者はあまり不自由を感じていないように思える。 そういう意味では、日本人は英語にかなり親しんでいると言えるのではないか。もちろん、しゃべれない、とは言われるが、十分使えていると言えると思う。 例えば中国に行けば、この意味するところが分かると思う。"> おしんと共演中いまさらながら、NHKの「中高年のためのパソコン講座」を見た。 ちょうど「文章をローマ字入力してみよう」という回だったので、見ながら「ああ、パソコンを使うことは、事実上ローマ字を知っていることを前提にしているんだ」などということを再認識した。 それと同時に、雑誌やらなにやらで、英語だけでしか説明していない噴出し(例えばBuy CD")とかがあるのに、一般の消費者はあまり不自由を感じていないように思える。 そういう意味では、日本人は英語にかなり親しんでいると言えるのではないか。もちろん、しゃべれない、とは言われるが、十分使えていると言えると思う。 例えば中国に行けば、この意味するところが分かると思う。"> おしんと共演中いまさらながら、NHKの「中高年のためのパソコン講座」を見た。 ちょうど「文章をローマ字入力してみよう」という回だったので、見ながら「ああ、パソコンを使うことは、事実上ローマ字を知っていることを前提にしているんだ」などということを再認識した。 それと同時に、雑誌やらなにやらで、英語だけでしか説明していない噴出し(例えばBuy CD")とかがあるのに、一般の消費者はあまり不自由を感じていないように思える。 そういう意味では、日本人は英語にかなり親しんでいると言えるのではないか。もちろん、しゃべれない、とは言われるが、十分使えていると言えると思う。 例えば中国に行けば、この意味するところが分かると思う。">

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関 信浩が2002年から書き続けるブログ。ソーシャルメディア黎明期の日本や米国の話題を、元・記者という視点と、スタートアップ企業の経営者というインサイダーの立場を駆使して、さまざまな切り口で執筆しています

いまさらながら、NHKの「中高年のためのパソコン講座」を見た。
ちょうど「文章をローマ字入力してみよう」という回だったので、見ながら「ああ、パソコンを使うことは、事実上ローマ字を知っていることを前提にしているんだ」などということを再認識した。
それと同時に、雑誌やらなにやらで、英語だけでしか説明していない噴出し(例えばBuy CD")とかがあるのに、一般の消費者はあまり不自由を感じていないように思える。

そういう意味では、日本人は英語にかなり親しんでいると言えるのではないか。もちろん、しゃべれない、とは言われるが、十分使えていると言えると思う。

例えば中国に行けば、この意味するところが分かると思う。

日本では、例えば外国人が来て「バスに乗りたい」「タクシーを拾いたい」といっても、バスやタクシーといった言葉は通じる。考えてみれば英語を知らなくても、外来語由来のカタカナは日本中にあふれかえっている(「ブロッグ」だって、きっとそうだ)。

ところが例えば中国。バスは「汽車(チーチュー)」、コンピュータは「計算機(ジーシュアンジー)」といった具合に中国語にしてしまうので、原語の発音が全然残っていない。そのため「バス」といっても、僕が旅した西安から西では全然通じなかった(都市部では通じるのだろうか)。

などと話が膨らんだのを見て「自分に関係ない」と思っていた中高年のパソコン講座だが(今はデジカメ講座かな)、いろいろ気づかされることがあるな、と思って、あらためてhiroshさんの顔をキャプチャーしたのであった。