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関 信浩が2002年から書き続けるブログ。ソーシャルメディア黎明期の日本や米国の話題を、元・記者という視点と、スタートアップ企業の経営者というインサイダーの立場を駆使して、さまざまな切り口で執筆しています

iモード数日前の日経夕刊を読んでいたら、iモードについて書いているコラムが目に入ってきた。ふつうは読まないことが多いが、今回偶然目を通していたら、面白い話が。


日本経済新聞 夕刊 2003年9月11日
コンテンツ革命の旗手たち(9) 携帯電話ネット誕生(4)

(前略)
99年2月に発売するなら、その前に記者発表が要る。逆算すると11月19日がいいという話になり、部長の榎啓一と松永[真理]が記者会見に臨むことにした。ところが取材に現れた記者はわずか7人。質問は「iモード」と「WAP」の比較に集中し、松永らが描く「携帯ネット」については誰も関心を示さなかった。
当然、翌日の新聞報道もベタ記事が多い。「このままではコンテンツ会社に申し訳が立たない」。松永はそう思うと、今度は記者会見でなく「記者説明会」という形で再び記者を集められないかと考えた。だが、それには客寄せが要る。
(後略)

こうして当時、ブレークしていた広末涼子が記者説明会に来ることになり、1999年1月25日の記者説明会には芸能誌を含めて400人以上が集まったらしい。

それも、この記者説明会、確か広末の撮影タイムというか、純粋なiモードの説明以外の時間が確保してあったと思う。知り合いの若手記者も、広末目当てで会見に行っていた(ような気がする)。

最近では、ADSLの発表会とか、芸能人が来るケースが多いみたいだけど、やっぱり当時は「ヒロスエが会見に来る」はインパクトがあったんだろう。

逆に、ヒロスエがいなかったら、iモードはまったく注目されないで終わったのだろうか…。