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関 信浩が2002年から書き続けるブログ。ソーシャルメディア黎明期の日本や米国の話題を、元・記者という視点と、スタートアップ企業の経営者というインサイダーの立場を駆使して、さまざまな切り口で執筆しています

WTC SiteMTでblogを始めてからほぼ1年。なんとなく過去のEntryの「Draft」を見ていたら、やっぱりありました「9/11」。

思えば2001年9月10日夜。ワシントン/ダレス空港からロンドン/ヒースロー空港行きのユナイテッド便は遅れていた。22:45発の便は結局は、多少の遅れでロンドンに飛び立った。

9月11日早朝(10時半。東海岸時間で5時半)、ロンドンに降り立った我々は、何事もなかったようにBaker Street(シャーロック・ホームズで有名)に向かった。午前中にGarage.comのGuy Kawasakiを迎えたミーティングを終えたところで、第一報が飛び込んできた。

テレビを見始めたのは午後2時前だっただろうか(東海岸時間9時前)。というのは

> 1330- 1400 Guys presentation

だったからだ。

ロンドン育ちのフランス人、Paulが思いっきりロンドン訛りで「ワールドトレードセンターに飛行機が飛び込んだらしいぞ!」。Paulはご丁寧に飛行機の飛んでいる真似をするジェスチャーつきである。

ミーティングにいた総勢40人程度の集団は、受付にある、CNNが放映されている大きなテレビの前に移動する。

確かに、WTCは煙をあげている。

他の学生でテレビを見ている人間はすでに多かったが、その中でもアクションを起こしていたのは、ユダヤ人だった。

しきりに携帯から電話をする彼ら。

そうこうするうちに、テレビの中に不穏な映像が。

そう。2機目がまたもやWTCに突っ込んだのだ。

テレビの前にいる群衆(もう50人以上いただろう)は、突如、神妙な面持ちに変化した。

「これは事故じゃない!」

みんなが気づいたことは、それだった。ロンドンという土地柄、ニューヨーク出身のやつらも多かった。みんな、思い思いに電話をしているが、どうもうまく連絡ついていないようだ。

ユダヤ系のやつらは、もう本当に真剣に各所に連絡をとっている。同じころ、CNNは「Capitol Hillで火災発生!」、「シカゴのシアーズタワーが緊急避難!」など、もうパニック状態。

僕らは、「ああ、もしかしたらもうアメリカには帰れない」と思っていた。

携帯でアメリカや日本に電話したが、どうもつながらない。しかたがないので、一時テレビの前を離れて、ネットにつないでメールをチェックすると、日本から大量のメール。「20機以上がハイジャックされたらしい」「ピッツバーグ(当時私が住んでいた町)にも落ちたらしいが大丈夫か?」などなど。

驚いたのが、CNNよりも日本から送られてきていたメールの方が、情報が整理されていたこと。僕は、メールから得た情報を持って、テレビの前に戻って周りにいた何十人に伝えた。

もう、その場の雰囲気は異常だった。みんなは「ニューヨークの次、もしヨーロッパがターゲットなら、それはロンドンだ」と思っていたに違いない。でも、何もできない。飛行機は全部止まっていたし、できることと言えば地下鉄に乗らないことぐらいだ(偶然、その場所から徒歩2分のホテルに泊まっていたので、地下鉄には乗らないですんだ)。

とりあえず荷物をまとめ、ホテルに帰ったのは午後7時ぐらいだろうか。気づいたらテレビの前に5時間以上いたのである。

ホテルに戻っても、とにかくテレビをチェックして、その後の状況をチェックしていた。14日(金)にアメリカに戻る予定だったのだが、とにかく飛行機は全面的に運休していたし、復旧のメドもたっていなかったので、とりあえず日本に帰るという選択肢もあったからだ。

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結局その後は何もなく、14日から大西洋線が復旧して、記念すべきアメリカ行き第一便に乗ることができて(その代わりX線チェックが2回、プラス手荷物すべてチェックで飛行機が遅れて、ワシントンで無駄に1日過ごしましたが)、無事にアメリカに戻りましたが、その後は夜寝ていても些細な物音で起きましたし(秋にあった夜の花火大会では、友人中に「この音はなんだ」と電話して顰蹙をかったかもしれませんが)、何よりその後、高いところが大好きだった私が、高所恐怖症(特にビル系の高い場所)にかかってしまったのは、ニューヨークにいたわけでもないのに、と笑われそうですが…。

2年たって、ずいぶんと気持ちのもち具合は変わりましたが、今度は地震か…。