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関 信浩が2002年から書き続けるブログ。ソーシャルメディア黎明期の日本や米国の話題を、元・記者という視点と、スタートアップ企業の経営者というインサイダーの立場を駆使して、さまざまな切り口で執筆しています

先日、知人とランチをするために、家の近くのレストランに歩いていきました。

ニューヨークのロングアイランドシティ(LIC)というエリアで、マンハッタンと川を挟んだ対岸にあります。最近は、若いプロフェッショナルが多く住むエリアで、特に南側は東アジア系の住人が増えているせいか、アジア系のレストランやグローサリーストアが、ここ数年で急に密度を上げています。

歩いていると、向こうから一人の若い女性が歩いてきました。東アジア系で、ジョギング姿。短パンとタンクトップ。そして、顔に保湿パックをしたまま、スマートフォンを見ながら歩いている。そのままスーパーに入っていきました。

その光景を見て、思わず頭を整理する時間が必要になりました。

待ち合わせのレストランは、フランス語の店名がついた小さな店です。ただ、メニューを開くと、日本風のハンバーグステーキやオムライスが並んでいる。週末になると、店の外まで東アジア系のお客さんが行列を作ります。値段はマンハッタンの同種の店より高いのに、繁盛している。

席に通されてメニューを眺めていたら、窓の外を、さきほどの保湿パックの女性が、また通り過ぎていきました。買い物を終えて、家に戻る途中だったようです。

知人と顔を見合わせて、「ニューヨークにもいろんな人がいるけれど、保湿パックをしたまま歩いている人は、初めて見ましたね」と話しました。


「いまのニューヨーク」と「知っているニューヨーク」のズレ

私は、初めてニューヨークに訪れてから30年になります。とはいえ、最初に来たのは海外出張で1996年。その後も2006年からは毎年6月にニューヨークで取締役会を開催していたため、定期的には来ていましたが、定住したのは2014年からなので、定住者としてはまだ12年です。それでも、街の変化は、年単位ではっきりと感じます。

私と同世代の、日本から来た人やニューヨーク経験のある人と話していると、よくこういう瞬間があります。

「ニューヨークって、こんな感じだったっけ?」

短パンとタンクトップで、保湿パックをしたまま、歩きスマホをしている若い女性。ひと世代前のニューヨークでは、ちょっと考えにくい光景でした。治安の問題もあり、街中で無防備に立ち止まること自体、リスクとして避けるのが普通だったからです。

けれど、いまのLICのこのエリアでは、それが普通の風景になっています。同じ街でも、エリアと時代が変われば、人の振る舞い方は根本から変わる。

これは、街の話だけではないと、最近、よく思います。


「現場にいる人」と「判断する人」の距離

仕事の場面でも、似たことがあります。

私のいる業界で、日本の事業会社の方々と話していると、「米国のスタートアップ・エコシステム」についての前提が、ひと世代前のままで止まっていることが、しばしばあります。

たとえば。

「スタートアップならシリコンバレー」。これは2010年ごろまでは、おおむね正しかった。けれど、いまは違います。

「ニューヨークは金融・メディア・エンタメ」。これも、少し前までなら自然な理解でした。けれど、現場にいると、いまは違う景色が見えます。クライメートテックやディープテックの領域で、ニューヨークに集まる起業家や投資家は、この10年でかなり増えました。

同じように、ボストンにはバイオ、ロサンゼルスにはモビリティや製造業の流れがあります。ワシントンDCにも、最近のディフェンステックの広がりに合わせて新しいエコシステムが育ちつつある。それぞれの都市が、別々の強みを持つエコシステムとして動き始めています。

これらは、現場で日々スタートアップや投資家と話していれば、自然に体感する事実です。けれど、現場から離れた場所で意思決定をしていると、見えにくい。資料に出てくる数字を見たとしても、「シリコンバレーが中心」という前提があると、その数字は背景情報として処理されてしまう。


私自身、現場にいなかったら、同じだったと思う

ここで誤解しないでいただきたいのは、私はこれを「日本側がわかっていない」という意味で書いているわけではない、ということです。

人間は、自分が直接触れている世界しか、本当の意味では把握できません。私自身、もしいまの仕事をしていなかったら、ニューヨークがディープテックの起業家や投資家が集まる街になっていることを、たぶん実感としては理解できなかったと思います。日本の地方都市の、いまの様子を知らないのと同じです。

問題は「誰が悪いか」ではなく、判断する人と現場の距離が、構造的に開いていることです。

そして、その距離が開いていること自体が、判断する側からは見えにくい。「自分は十分に情報を持っている」と思っているうちに、前提のほうが静かに変わっている。これは、誰にでも起こりうることです。


第1弾の問いに戻る

前回の記事で、こう書きました。

「なぜ日米のディープテック協力は、個別案件は増えても、『仕組み』にならないのか」

そして、答えは「人」や「努力」の側ではなく、「構造」の側にあるのではないか、と書きました。

その「構造」の中身は、いろいろな角度から書けると思います。今日のこの記事で書いたのは、そのうちのひとつです。

判断する人が、現場の前提から離れたまま、判断を続けている

これは個別の人の問題ではなく、組織の設計の問題でもあり、情報が伝わる経路の問題でもあります。

シリコンバレー一辺倒だった前提のまま、東海岸の現場感を取り入れる経路が組織の中になければ、判断は古い前提の上で行われ続ける。当然、結果も古い前提に最適化されたものになります。

これは、解こうと思えば解ける問題です。けれど、解こうと意識しなければ、解けない問題でもあります。


LICのレストランで知人と別れた後、私は窓の外をもう一度見ました。

保湿パックの女性は、もういませんでした。

けれど、彼女がいた、という事実は、確かに私の頭に残っています。次に日本から誰かが来て、「ニューヨークってどんな街?」と聞かれたら、私はおそらく、彼女の話から始めるのだと思います。

もうすぐ57歳の私が、いま見ているニューヨーク。それを言葉にしておくことには、たぶん意味があります。次の20年に向けて、何を書くべきか考えるとき、この種の「現場の風景」を残していくのも、ひとつの仕事だと思っています。