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関 信浩が2002年から書き続けるブログ。ソーシャルメディア黎明期の日本や米国の話題を、元・記者という視点と、スタートアップ企業の経営者というインサイダーの立場を駆使して、さまざまな切り口で執筆しています

小さいころ、ぼくは「どうして?」を連発するコドモでした。

ぼく「どうしてあの人が総理大臣なの?」
おや「それは、あの人がみんな選ばれたからよ」
ぼく「どうしてあの人が選ばれたの?どうして違う人ではダメだったの?」
おや「それは、あの人が優秀だからよ」
ぼく「じゃあ、どうしてあの人は優秀になったの?」
おや「いい加減にしなさい!」

いま思うと、ずいぶんとうっとおしいコドモだったに違いない。
いや、コドモだったときだけではない。今もそうなのだ。
去年、アメリカにいるときだって、ミーティングの最中に

ぼく「そもそも、どうしてこういう手法を適用しないといけないの?」
チームメンバー「だって、教科書に書いてあるよ」
ぼく「でも、教科書にあるこの手法が、どうして正しいと言えるの?どうも納得がいかないんだけど…」
チームメンバー「お前、何言ってんの!」

そりゃ、そうだよね。限られた時間の中で仕事をテキパキやっていこうと思ったら、いちいち「これは何で…」なんて言っているのはバカバカしいことなのかもしれない。でも、「どうして?」がなかったら、人に言われたことを黙々とやるだけの人になっちゃう。

たとえ頑張って勉強して優秀な成績をあげたとしても、その間に「なんで?」「どうして?」がなかったら、本当の競争力は育ってはいないだろう。どうしてか? 同じスキルを身につけた“コピー”が、毎年毎年作られているからだ。

別にぼくは、使い古された「日本の教育制度」を語っているわけじゃない。アメリカだって、似たようなもんだ。僕の友達がビジネススクールに来ている生徒を、「成り上がって儲けたい、田舎モノの集団」と評していたけど(もちろん全員というわけじゃない)、それに似た雰囲気はあると思う。能力の高い人は、どこにいても芽を出すものだ。「嚢中の錐」、というほとんど使われなくなった諺も言っているではないか。

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1年前、偶然手に取った本の、それも偶然開いたページにあったコラムが、とても印象的だったので、つい買ってしまった本がある。「新約コピーバイブル」(宣伝会議刊)だ。その76ページにあるコラム『「なんかいいよね」禁止』(谷山雅計氏)では、「どうして?」の重要性をこんな風に説明している。

(前略)
それは、明日から、あなたの毎日の生活の中で「なんかいいよね」という言葉を禁句にしてほしい、ということです。
(中略)
たとえば、ここに「パルプ・フィクション」という映画がある。見たあなたは「なんかカッコイイよね「なんかすごいよね」を連発して大満足かもしれない。
けれど、それをつくったタランティーノ監督は「なんかカッコイイぞ」「なんか凄いぞ」と思いながら撮影していたわけではなりませんね。
(中略)
「受け手」は、一生「なんかいいよね」「なんかステキよね」と言い続けます。「作り手」は、「なぜいいのか。コレコレコウだからじゃないか」と考え続けます。
(後略)

「どうして?」は訓練で、できるようになります。人の話を聞いているときに、是が非でも質問しようとすればいいんです。質問はどんな簡単なことでもオーケーです。例えば、テレビのニュースを見てください。キャスターが「次のニュースです」といったら、すかさずキャスターに質問を浴びせかけてみてください(もちろんキャスターは答えてはくれませんが)。

できましたか? 意外に難しいはずです。でも、訓練でできるようになります。そして、訓練すれば、もう「どうして?」だらけで困るようになるはずです。親しい人に「どうして?」を連発すると、人間関係がギクシャクするかもしれません。でも、「どうして?」を実践することで、谷山さんがいうところの「受け手」から「作り手」になることができるでしょう。

お役所の人が「ベンチャー創生が急務」なんてお題目を並べてますが、ぼくは思います。まず「なんかいいよね」を禁止して、「なぜ?」「どうして?」を奨励してみてはどうか、と。