昔に比べて、紙とペンで物事を考えることが多くなった。
いや、正確には、PCが清書用のワープロになってきた気がする。自分が新人のとき、「ワープロで書くより、手書きの方が早く原稿があがる」と言っていた先輩を笑っていたことを思い出す。
キーボード・アレルギーとは違う、何かが起きたのだろうか。
今では、文章を書くときには、まずプレゼンテーション・スライドさながらに、複数の下書きを作り、各ページに項目を個条書きすることがほとんどだ。文章そのものさえ、まず紙に手書きで書いて、最後にワープロで清書、というパターンが多くなってきた。
学生時代から、かれこれ15年もPCを使ってきた。これほど紙とペンに頼るようになったのは、一生でも初めてだろう。
もともと、思いついたことをメモする、というクセはあった。ただメモは紙とは限らなかった。大学時代など、クルマの中に小型レコーダーを積んで、何か思いついたら録音する、なんてことはしていた。
でも、いつから、これだけ紙に依存するようになったのだろう。
思い返してみると、アメリカに留学する前ごろ、つまり仕事を始めて4〜5年ほど経ったころには、もうその傾向はあったように思う。しかし、決定的に依存するようになったのは、アメリカに留学しているときだと思う。新しく学ぶ、さまざまな事象を、今までの仕事の枠にとらわれずに結びつける。そんなことをしようと思ったら、上から下に流れる従来の二次元思考が、うまく働かなくなったのかもしれない。文章という二次元思考から解き放たれ、図による三次元思考へと飛躍するには、キーボード主体の今のPCでは、まだ力不足なのだろうか。
もう一つ、これは別のテーマとして掘り下げようと思っていることだが、脳は刺激があればあるほど、働きが良くなるそうだ。特に手や口は、脳の多くの部位と密接につながっている。紙の上でペンを走らせることは、手を通じて脳を刺激することにつながっている。脳の働きが衰え始めたいま、それを補うために、無意識のうちにカラダが紙とペンを選んだのかもしれない。