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関 信浩が2002年から書き続けるブログ。ソーシャルメディア黎明期の日本や米国の話題を、元・記者という視点と、スタートアップ企業の経営者というインサイダーの立場を駆使して、さまざまな切り口で執筆しています

日本人には英語コンプレックスがあるようだ。書店に行けば、「誰でも英語がうまくなる」といった類の本が並んでいるし、ベストセラーに英語を学ぶための本が入ることも、決して珍しくない。だから、英語がデキルやつ、というのは、それなりにホメ文句なのである。

しかし、英語なんて、たかが技術である。英語ができたら優秀というなら、英語ネイティブのやつは全員、非ネイティブより優秀ということになる。そりゃおかしくないか?

留学前に、アメリカで語学のプレスクールに通っていたとき、同級生が「いくら英語ができるようになっても、日本語で考えていること以上の能力は発揮できない。英語をやればやるほど、『日本語でちゃんと考えられるようにならないといけない』と感じた」とコメントしていたが、まったくその通りじゃないだろうか。

しかし、実際の現場ではどうだろうか。本当の能力を見極めず、「アイツは英語が強いから、海外担当」なんて決まったりしてたりしないだろうか。これでは、例えば最先端の金融ノウハウを身に付けるために、英語が苦手にもかかわらず留学して、それでいて「留学→英語が話せる→海外担当」みたいになったら、そりゃその人はクサるだろう。会社をやめたくなるだろう。

確かに技術は能力を助ける上で大きな役割を占める。いくらいいアイデアを持っていても、他人に伝える技術を持たなければ、それは他人にとって意味がない。

しかし、今、必要なのは、技術ではなく、能力を見い出し、それを育てていくことではないだろうか。