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関 信浩が2002年から書き続けるブログ。ソーシャルメディア黎明期の日本や米国の話題を、元・記者という視点と、スタートアップ企業の経営者というインサイダーの立場を駆使して、さまざまな切り口で執筆しています

Blog最初のエントリーである「なぜ?」「どうして?」と言えますか?が、見事に一つのレスポンスも得られなかったので、切り口を変えて再挑戦!

自分が「なぜ」という問いかけをされて、感心するケースとやや不快になるケースがあることに気づきました。

やや不快になることがあるのは、パーソナルなことや個人的な決断について「どうして、そうしたのか?」という問いかけをされたときです。よく、質問を含めて議論をふっかける(表現悪いですが)ことを「チャレンジする」と言いますが、パーソナルな事柄へのチャレンジは、まさに個人攻撃に近いからなのかもしれません。

よく議論が過熱すると、相手の意見ではなく相手そのものに対して対立してしまうことがあります(いわゆる「感情的になる」ケース)。このケースというのは、議論をしている人が、相手の意見と相手という「個人」を混同してしまうケースだと思うのですが、こうなるともう両者に遺恨が残ります。

「どうして?」という問いかけは、ことクリエーティブさを保つためには、非常に重要なことだと思いますが、パーソナルなことに対する「どうして?」は、少し慎重に行った方がいいのかな、と思います。

みなさんはどう思いますか?