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関 信浩が2002年から書き続けるブログ。ソーシャルメディア黎明期の日本や米国の話題を、元・記者という視点と、スタートアップ企業の経営者というインサイダーの立場を駆使して、さまざまな切り口で執筆しています

楽毅先日のローマ人の物語のエントリーで、宮城谷昌光氏の歴史小説に触れたところ、思いがけず反応があったので、気をよくして新年らしく取り上げてみる。

宮城谷作品を初めて読んだのは、「晏子」を読んだのが初めだった。

それまでは主に、陳舜臣の中国歴史本を読んでいた。一度、、「長耳」の単行本を手に取ったことがあったが、宮城谷氏独特の語り口調に、ちょっと違和感をおぼえて、買って読むまでには至らなかった(陳氏のはストレートで明快な表現がすがすがしいのに対し、当時の宮城谷氏の小説は否定表現が多いなどのクセがあり、とっつきにくかった)。

確か晏子を読むことになったのは、出張か何かで、全巻そろえて移動中に読み始めたのが最初だったと思う。

最初は違和感があったものの、読み始めると妙にクセになる内容。そして、今まで深くは語られていない春秋戦国時代とそれ以前(夏・殷・周)の君主・英雄を取り上げた小説が多かったのも、クセになった原因の一つだろう。

宮城谷氏の小説は、主に読後感から大きく分けて二つの作品パターンがあると思う。

一つ目は戦国時代、斉の宰相の生き様を描いた「孟嘗君」に代表される、遊び心がある作品。宮城谷氏の作品に多い、「男の深い生き様」という重いトーンに彩を添えてくれるパターン。ほかに秦の始皇帝の実の父といわれる大商人・呂不韋の一生を描いた「奇貨居くべし」がこのパターンにあたるように思う。

もう一つは、ひたすら男の生き様を描くパターン。むしろこちらが宮城谷氏の本流だろう。中でも冒頭に取り上げた「楽毅」は、潔い生き様を描いた作品として心に残る。

どちらにしてもAmazonで宮城谷昌光でひくと、たくさんの良書が出てくる。

書評をしていたら、また読みたくなってきてしまった。最新刊「管仲」を初夢代わりに、再び読み直してみようと思う。