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関 信浩が2002年から書き続けるブログ。ソーシャルメディア黎明期の日本や米国の話題を、元・記者という視点と、スタートアップ企業の経営者というインサイダーの立場を駆使して、さまざまな切り口で執筆しています

終戦から67年。近年まれに見るほど、日韓関係が緊張しているようです。政治や宗教などについての立ち入った議論はしないというポリシーがあるので、あまり立ち入った議論をするつもりはないのですが、最近インターネットで見る「民族」という言葉が気になっています。

インターネットによって、個の力が大きくクローズアップされているにも関わらず、オリンピックなど国威発揚のイベントや領土問題などが発生していることがあり、「国家」や「民族」という単位での物言いが、マスメディア・インターネットを問わず増えている印象があります。

しかし、多くの悲劇は、「民族」という概念が極度に強調された社会情勢の中で生まれてきたことを、忘れてはならないと思います。ボスニア紛争では「民族浄化 (ethnic cleansing)」という言葉のもと、疑心暗鬼と憎悪が広がり、多くの犠牲者が出ました。たった20年前の出来事です。

賢者は歴史に学ぶ

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」というのは、ドイツ(プロイセン)宰相であったビスマルクの言葉と言われていますが、この言葉を聞くと私はいつも、中国の王朝「宋」の歴史を思い出してしまいます。

宋(北宋)は武より文を重んじた王朝で、芸術は栄華を極めていたそうです。当時の陶磁器の出来は素晴らしく、1000年近く経った今でも、同じクオリティのものは作れないとか。都(みやこ)は繁栄を享受し、市民は家の扉に鍵を締めなかったと言われるほど、治安も良かったそうです。

しかし北方の「異民族」が武力をもって宋に侵攻してきたとき、朝廷の文官たちは政争に明け暮れ、また異民族を「漢民族より愚かな民族」と見下し、大局的な判断ができず、むざむざと国家滅亡(上皇と皇帝が捕囚される)を迎えてしまいました。

王朝自体は、皇族の一人が南方で朝廷を再興し、いわゆる「南宋」として国家は存続しました。しかし、国際情勢は版図を縮小した南宋には厳しく、再び北方の「異民族」(蒙古族)が隆盛を迎えると、再び国家存亡の危機を迎えました。

北宋滅亡からたった150年。国家として学ばなければいけない最も大きな失敗は、政争に明け暮れ、異民族を見下して、大局的な判断ができなかったことに関わらず、南宋の朝廷では、その国家存亡の危機に対しても、再び朝廷での政争と異民族への蔑視・驕りを繰り返し、結局1279年に幼帝が宰相などとともに入水自殺をして、北宋開闢から319年の歴史を閉じるに至りました。

「宋」という王朝は、文を重んじ(文治政策)、文化を発展させる礎を作った偉大な国家だと個人的には思っています。そして、その歴史を見てみると、文化や芸術で国際的に注目され、また武(軍隊)に対する態度など、現代の日本と似通った部分が多く見られます。そのため、今の日本が学ぶべきポイントが多々あると感じています。

何よりも当時と大きく異なるのは、インターネットなどを通じて、世界中の人たちが「地球人」(コスモポリタン)として活動できるベースがあること。「民族」という枠にとらわれて、憎悪と悲しみの連鎖を、今こそ断ち切る時ではないかと、「終戦記念日」という節目の日を迎えて、感じています。

「民族」という括り

日本人にも嫌な人や愚かな人はたくさんいるでしょう。でも、そうした人たちの行為を評して「日本人は愚かな民族」と日本人が結論づけることはあまりないかと思います。一方で、外国の人がそういう行為をすると「●●民族は愚かな民」と言ってしまったりします。なんとも自己中心的なことです。

「人間には良い人もいるし、悪い人もいる。民族は関係ない」ということを意識できる人に、私はなりたいです。それをコスモポリタンというのであれば、そうなりたいです。そして、自分の可能な範囲で、そういう人たちの輪を広げていきたいです。そして、ブログやソーシャルメディアというプラットフォームが、その助けになればいいな、と思っています。


注)歴史観に多少の事実誤認やバイアスが含まれている可能性があります