7月初旬に「ニューヨークVC最前線、スタートアップとの激動の100日」と題しウェビナーで講演しました。このときに、話す内容をまとめるうで、まず今年の3月から6月に起きたことをメモにして、ウェビナーの運営チームに相談しました。
そのときには「ウェビナーで話を聞いてもらう聴衆向けではないのでは?」というフィードバックをもらったので、ウェビナーでは内容を一から練り直したのですが、せっかくメモにしたので、ブログに公開しておこうと思います。
2020年3月5日、Sequoia Capitalがブログで「Coronavirus: The Black Swan of 2020」を公開した。内容が老舗VCであるSequoiaが投資先に送ったメールということで、この記事はネット上でまたたく間に引用されていった。
このコロナショックは、2008年に起こった金融危機(リーマン・ショック)を超える、未曾有の経済危機を引き起こす可能性があるため、スタートアップがすぐに対処しないといけないことが挙げられていた。
まだ米国ではロックダウンは始まっていなかったが、3月1日にニューヨークで初のコロナ患者が見つかっており、一部の当ファンドの投資先も「対策を考える」とリアクションしていた。
しかし、その後に投資先と話をしてみたところ、深刻度に関する認識が私と大きく異なっていることが分かったため、翌週に改めて担当する全ての投資先と緊急の電話会議を設定した。私たちの投資先はほとんどが「プリシード期」のスタートアップで、まだちゃんとした売上が立っていないところがほとんどだったので、資金が足りなくて緊急の資金注入が必要そうな投資先については、3月末までにファンドの全パートナーへの説明を終えて、追加投資をすることが出来た。
ほぼ全ての追加投資先に、投資の前提としてレイオフを組み入れたため、日本側の投資委員会メンバーやオブザーバーからは「レイオフをするなんて、その投資先はヤバいのではないか?そんなところに追加投資するのは危ないのでは?」というフィードバックがあった。
しかし2008年の金融危機(いわゆる「リーマンショック」)を米国のスタートアップで過ごした経験から、「新しいノーマル」を事業計画に織り込み、素早く戦略転換したところが大きく伸びる可能性が高い。その結果、新戦略がはっきりしたところは、非コア分野もハッキリするため、コスト削減も大胆に実行できると信じて、投資先の意思決定を支援した。
2008年当時、働いていたスタートアップの社外取締役だったLinkedIn創業者のリード・ホフマン氏は「レイオフが1週間、遅れると、いくらの損失になるかをよく考えて」とCEO以下の執行役員にメッセージがあり、自身もLinkedInで大規模レイオフを実施するところだった。私たちも当時、400人近い社員がいたが、15%をレイオフするのに、たった6日間しか検討時間がなかった(そして、LinkedInも同じタイミングでていた)。
12年前の経験により、よほどのスピード感を持って対応しないと、急なビジネス環境の変化に耐えられない。そんな思いが自分の中には育っており、今回ロックダウンになった瞬間に「とうとうリーマンショック級のショックが来てしまった」と感じた。
一方で、投資先の経営者(創業者)のほぼ全員が、リーマンショックが起きた12年前には、まだビジネスの世界に入っていなかった。実際、各社と話してみると、連続起業家が経営する1社を除き、どんな投資家からどの程度の資金を調達すれば良いのか見当がついていないようだった。
冒頭のSequoiaの記事を読んで、すぐに対処したと意気揚々と伝えてきた創業者も、「投資家は投資するのが仕事だから、1〜2カ月もすれば出資が受けられるだろう」という見積もりの事業計画で、とてもこの危機を乗り切れそうには見えなかった。彼らが出してきたブリッジファイナンスの計画を、週末にもメールやテキスト(ショートメール)で、何度も何度もやりとりしたが、なかなか危機意識が共有できなかった。
ましてや今回の不況の原因はワクチンもないウイルスの世界的大流行。私にも確信があるスケジュール感はなかったが、3月末の時点では「経済がまともに動き出すのは9月ごろ、新規投資を受けられるのは2021年第1四半期ぐらいを目安に、現預金の計画を立てて、既存投資家にいくら少額でもいいからブリッジファイナンスに参加してくれとリクエスト」するように指示した。
9月とスケジュールを仮置したのには理由がある。たとえコロナ対策が順調に進んだとしても、6月末までに終わるとは思えなかったので、その後の夏休みを考えると、ビジネス環境が落ち着くのは9月まで持ち越されるだろう、というものだった。その後も、売上のないプリシード/シード期への投資が復活するのは、第4四半期(10月〜12月)に「新しいノーマル」が定着してからではないか、と考えたからだ(かなり保守的な見方だとは思ったが、キャッシュがなくなると倒産することを考えると、そのぐらいの余裕をもってないと危ないと思った)。
「世界の工場・中国」への依存度が高い米国ハードウェア企業
当社の投資先はすべて、ハードウェアを開発するスタートアップのため、米国での感染者が出る前の2月初旬から、すでにコロナの影響が出ていた。中国での生産拠点がコロナによって閉鎖されたり、部品や製品の輸送が滞っているという連絡が入っていたためだ。
実際、2月から3月にかけては、投資先以外のスタートアップからも、生産拠点を日本などに移せないか、という問い合わせがあり、私も中国や日本のモノづくりの状況を把握する必要に迫られていた。
3月の中旬になり、アメリカの多くの都市でロックダウンが始まったことで、この混乱はピークに達していた。ロックダウンでは、社員がオフィスに行くことが出来なくなったためだ。投資先の多くは、まだハードウェアの最終組み立てを自社で行なっているところが多く、試作や開発を含め、ビジネスの根幹部分が止まってしまったことになる。
3月後半には中国の工場の稼働もかなり戻ってきていたため、たった1か月で経営の課題が「中国のサプライチェーンの代替」から「自社でのモノづくりからの即時の脱却」と、目まぐるしく変化していた。
一方で、マスクやベンチレーター、PPEの不足を解消するため急遽、米国内での生産が必要になり、食糧の供給を司る食肉工場とともに、米国内での工場の操業をどうやって止めないか、ということが社会問題化し始めていた。
アメリカの「現場」で起きている「ソーシャルディスタンシング」
日本では話題になっていなかったが、米国では物量倉庫や食肉工場での、コロナの感染爆発が頻発していた。労働組合がPPEなしでの倉庫での労働を拒否し、大手の食肉メーカーが食肉工場の閉鎖をアナウンスするなど、生活必需品の供給や流通が危機に瀕していた。
生活必需品の供給が不安定になれば、暴動が起きるのが米国である(そして実際、それとは別の理由ではあったが、全米各地で暴動が起きた)。コロナへの集団感染により、4月末で20箇所以上の食肉工場が操業を停止していたが、それに対して大統領権限で稼働を継続するような大統領令に署名。一方で、労働組合が安全対策を強化するように求めるなど、大きな社会現象になっていた。
こうした背景から、工場内での感染防止のために、工場労働者に「ソーシャル・ディスタンシング」や「コンタクト・トレーシング」技術を適用し、速やかに工場の安定稼働を実現するニーズが高まっていた。
(つづく)