早いもので、ブログに最初の記事を投稿してから20年が経過しました。いま読むと、少し恥ずかしい最初の記事は「なぜ?」「どうして?」と言えますか?」です。
記事の結びに書いてある
「お役所の人が「ベンチャー創生が急務」なんてお題目を並べてますが、ぼくは思います。まず「なんかいいよね」を禁止して、「なぜ?」「どうして?」を奨励してみてはどうか、と」
を読むと、20年前も日本政府は「ベンチャー創生」と言っていたことが分かります。
それはさておき20年前のこの頃は、米国留学中に立ち上げたスタートアップのことばかり考えており、ありとあらゆる人から聞かれる質問に、ひたすら頭を捻りながら答えていたように思います。
その中でずっと考えていたのが、2001年の夏に一時帰国したときに買った「新約コピーバイブル」に書いてあった「「なんかいいよね」禁止」というフレーズでした。
「なんかいいよね禁止」は、今のスタートアップのプロダクトの作り方(例えばグロースハック)にも通じるところがあると思います。
再び、20年前の記事に戻ってみます。
「なぜ?」「どうして?」と言えますか? - Sync A World You Want To Explore1年前、偶然手に取った本の、それも偶然開いたページにあったコラムが、とても印象的だったので、つい買ってしまった本がある。「新約コピーバイブル」(宣伝会議刊)だ。その76ページにあるコラム『「なんかいいよね」禁止』(谷山雅計氏)では、「どうして?」の重要性をこんな風に説明している。
(前略)
それは、明日から、あなたの毎日の生活の中で「なんかいいよね」という言葉を禁句にしてほしい、ということです。
(中略)
たとえば、ここに「パルプ・フィクション」という映画がある。見たあなたは「なんかカッコイイよね「なんかすごいよね」を連発して大満足かもしれない。
けれど、それをつくったタランティーノ監督は「なんかカッコイイぞ」「なんか凄いぞ」と思いながら撮影していたわけではなりませんね。
(中略)
「受け手」は、一生「なんかいいよね」「なんかステキよね」と言い続けます。「作り手」は、「なぜいいのか。コレコレコウだからじゃないか」と考え続けます。
(後略)
『「作り手」は、「なぜいいのか。コレコレコウだからじゃないか」と考え続けます』 ― 「なぜ」を考え続けることこそが、前例がない事業・サービスを、改善して社会に受け入れてもらうための、ほとんど唯一の手段なのではないかと思います。
そして、そのことこそが、私がこの20年間、欠かさず続けてきたことに違いないのです。
気づいたら20年間、とぎれとぎれではありましたが、続けてきたブログと「なんかいいよね禁止」。今日から、気持ちを新たに「なんかいいよね禁止」に邁進していきたいと思います。
今日の記事の要点は以上ですが、せっかく20年前の文章を読んでいるので、なんでこんな記事を書いたのかを、ちょっと綴ってみようと思います。
留学前は、日経BPで雑誌記者をしていたのですが、その頃の上司の一人が「この記事、もっといい感じに出来ない?」と言ってくるのに、「なんで、具体的に言えないのか。プロだろ」と思っていたこともあり、この「なんかいいよね禁止」は、とても刺さったことを憶えています。
「考え続ける」のが苦手なのは、別に日本人には限りません。もはや全く憶えていないのですが、この記事には、留学先のチームメンバーとのやり取りとして、こんなことが書いてあります。
去年、アメリカにいるときだって、ミーティングの最中に
ぼく「そもそも、どうしてこういう手法を適用しないといけないの?」
チームメンバー「だって、教科書に書いてあるよ」
ぼく「でも、教科書にあるこの手法が、どうして正しいと言えるの?どうも納得がいかないんだけど…」
チームメンバー「お前、何言ってんの!」
しかし、このブログを立ち上げて記事を書いてから1年後には会社を辞め、ブログのスタートアップに入社することになるとは、この記事を書いたときには想像さえしていませんでした。
そして20年後のいま、ニューヨークに住んで、卒業した大学発のスタートアップにVCとして投資をしていることも…。
「なぜ」なんでしょうね?