Sync A World You Want To Explore

関 信浩が2002年から書き続けるブログ。ソーシャルメディア黎明期の日本や米国の話題を、元・記者という視点と、スタートアップ企業の経営者というインサイダーの立場を駆使して、さまざまな切り口で執筆しています

10月5日はアップル創業者スティーブ・ジョブズ氏の命日ということで、ネット上にはさまざまなコンテンツがシェアされていました。

私も彼が亡くなった2011年10月5日の翌日に、当時所属していた会社のブログで「さようなら、そしてありがとう:スティーブ・ジョブズ氏逝去によせて」というブログを書きました。1996年にサンフランシスコで彼に会ったときの出来事を手短にまとめたものです。

しかし彼が亡くなって10年以上が経過し、特に目新しいコンテンツもないだろうな、という思い込みで、昨日はソーシャルメディアに流れているスティーブ・ジョブズ氏関連の投稿を、あまり真剣に見ていませんでした。

ところが、ひょんなことから、NHKのブログ「取材ノート」が話題になっていると知り、軽い気持ちで読み始めたら、あっという間に45分が経過。というのもこの「取材ノート」、前編・中編・後編の三本立てで、総文字数は2万5000文字以上もあったからです。

2023年6月17日に放映された「日本に憧れ 日本に学ぶ 〜 スティーブ・ジョブズ ものづくりの原点 〜」の裏話が書かれた「取材ノート」で、つい先週(9月末)で定年退職を迎えた佐伯健太郎 記者が綴ったものです。

取材ノートは記者の執念のようなものを感じる内容ですが、私がもっとも印象深かったパワーワードはなんといっても「ジョブズ様のご予約は、あす午前10時に取れております」でした(ぜひお時間を取って、なんのエピソードだったか、お読みいただきたい内容です 笑)。

しかし私がブログを書こうと思ったのは別の理由からです。

この3部作の最後に出てきたのが、ジョン・スカリー氏だったからです(以下の写真の真ん中がスカリー氏。左がジョブズ氏。右が共同創業者のスティーブ・ウォズニアック氏。

Jobs, Sculley and Wozniak shared under CC BY-NC-SA 2.0 DEED by Mark Mathosian

ジョン・スカリー氏は、清涼飲料水メーカー・米ペプシコのCEOをしているときに、当時アップル・コンピュータのスティーブ・ジョブズ氏から引き抜かれて、アップルのCEOに収まった経営者です。彼とスティーブ・ジョブズ氏との蜜月と破局などの因縁は、書籍などに山ほどまとめられているので、ここでは割愛します。

今回は、12年前にスティーブ・ジョブズ氏と会ったときのことをメモとしてまとめたように、29年前にジョン・スカリー氏に会ったときのことをまとめてみます。

AOLの創業者が来日の噂

1994年5月。当時、私は日経コンピュータという雑誌の記者をしていました。ひょんなことから、米アメリカオンライン(AOL)の共同創業者CEOのスティーブ・ケース氏がお忍びで来日しているという情報を入手しました。AOLは当時、米国で最大のパソコン通信事業者で、日本進出が噂されていました。

1994年の当時はインターネットではなく、パソコン通信の勃興期。マイクロソフトが、最大手のアメリカ・オンライン(AOL)をMSN(マイクロソフト・ネットワーク)で追従しようとしている時代でした(その後1994年12月に、マイクロソフトがネット戦略を大転換し、MSNはパソコン通信からインターネット・サービスになりました)。

ちなみにAOLは現在も存在しますが、当時は破竹の勢いでした。AOLは1998年11月にネットスケープコミュニケーションズを42億ドルで買収すると発表(シリコンバレーのホテルで、月曜の朝5時からの電話記者会見に参加した記憶があります…)。2000年1月にはメディア企業タイム・ワーナーとの合併を発表しました。1820億ドルの合併は、当時も今も、アメリカ最大の合併劇です。

ホテルオークラの入り口で待ち伏せ

当時、社会人1年目(どころか編集部への配属1か月)だった私は、どうにかしてスティーブ・ケース氏に会って、AOLの日本進出計画を聞き出したいと、色々な人に聞いて回りました。その過程で、どうやらケース氏は、ジョン・スカリー氏をアドバイザーとして雇っており、日本にも一緒に来ているらしいということが分かりました。

スカリー氏は前年の1999年10月にアップルのCEOを退任しており、割と自由な立場で日本にいるだろうということで、さらに聞き込みをしていると、副編集長が「オレがニューヨークでインタビューしたとき、彼はどこに出張しても毎朝5時にジョギングすると言っていた」という情報をゲット。さらに「彼の東京での常宿はホテルオークラ」ということも分かりました。

そこまで分かって、もういてもたってもいられなくなった私は、その日は自宅に戻り、朝の3時に起きて、スーツに着替えて自家用車でホテルオークラの正面に陣取りました(新聞社などと異なり、社用車などがないため、働き始めて1か月の新米社員ではタクシーで行くことも出来ず、自家用車で行くしかありませんでした。また当時は、記者はスーツを着ているのが当たり前で、会社のロッカーにもスーツを吊るしていました)。

スーツで追いかける姿は不審者そのもの

「スーツ姿で呼び止めれば話を聞いてくれるに違いない」。駆け出し記者である私は、まったくの楽観的な憶測で、ホテルオークラの正面で待ち構えました。しかしその直後、目線を少し右にずらすと、ジョギング姿でホテルから走り出す外国人の姿が。それも待っていた場所から50メートル以上は離れていたと思います。

「しまった…」。朝起きるのに手間取った私は、ホテルオークラに着いたのが5時ちょうどぐらいで、事前に、別ルートを下調べしていませんでした。「下調べしておけば…」「もう少し早く起きていれば…」と後悔したものの、その1秒後には、走り始めていました。

かたや毎日のジョギングを欠かさない長身の外国人。かたや、マラソンの授業もほとんどサボったほど走るのが嫌いな短身の日本人。かたやジョギング用の出で立ち。かたや、紺のスーツに黒の革靴。

しかし「見失ったら絶対に会えない」と思い込んだ私は、そこからおそらく30分ほど、必死で追いかけました。彼はしきりに後ろを振り返りながら走っていましたが、少しずつ距離が離れていくと、最後はもう後ろを振り返りませんでした。

意識を朦朧とさせながら走っていると、坂の上にあるホテルオークラに上がる道の反対側の歩道を走っていた彼が、歩行者信号に引っかかって信号待ちしているのが遠目ですが見えました。桜田通りと言われるその道は、片側3車線の太い通りで、早朝でクルマも人もほとんどいないにも関わらず、歩行者信号はずっと赤のままでした。

「千載一遇のチャンス」と思った私は、出せる力の120%を振り絞って、桜田通りを斜めに横切りながら走り、奇跡的にも彼が待つ信号が青になる前に、彼が待つ横断歩道の反対側にたどり着きました。

そして信号が変わり歩いてくる彼。私は正面から「Are you Mr John Sculley?」と声を振り絞りながら歩み寄りました。

彼は一言「Yes」というと、私に駆け寄って、やさしく微笑みかけてくれました。

その後、二人で並んでホテルオークラまで歩きながら話しました。何を話したのか、今では詳細を覚えてはいません。

ただホテルに着いたとき、彼が「8時からスティーブ・ケースと朝食を取るので、そこに来てください。その前に、家に帰ってシャワーを浴びてくると良いよ」と言われたことは、今でも覚えています。

新聞社は黒塗り社用車で登場

汗だくのスーツ姿と、革靴で走ったためスネが痛かったのですが、停めてあった自分のクルマを運転し、家に帰ってシャワーを浴び、洗ってあるスーツに着替えて、再びホテルオークラに(今度は電車で)向かいました。

ホテルオークラに行くと、会議室が借りてあり、スティーブ・ケース氏がプレゼンの準備をしていました。もちろん、さっきまで一緒に走っていたジョン・スカリー氏もいます。

会議室には、ゲスト用に3つの席が用意されていました。新聞社が2社、事前に招待されていたようで、黒塗りの社用車で来た新聞記者のお二人と一緒に、スティーブ・ケース氏のAOLに関するプレゼンを聞きました。

ケース氏のプレゼン中に、スカリー氏は黙って私の席までやってきて名刺を渡してくれました。名刺には「Seki-san, it was a great pleasure meeting you」(ウル覚えなので表現は違ったかも)と青いペンで加筆してありました(この名刺はおそらくまだ実家にあると思うので、見つけたらスキャンしないと…)。

しかし記事にはならず。その訳は…

プレゼン後、スティーブ・ケース氏に色々と話を聞き、その後に追加取材をしたものの、記事にはなりませんでした。その理由は記事の内容ではなく、担当副編集長の、ある「配慮」からでした。

記事が載らないと、取材した方々に申し訳ない気持ちになるものです。そして、記事になっていないので、この話をする機会は、今まで、ほとんどありませんでした。

しかし、今回のNHKの番組で、最後にジョン・スカリー氏が出てきたおかげで、こうして書くことができました。

まとまりがなくなってきましたが、私が一度だけお会いしたジョン・スカリー氏との思い出でした!

PS: それから数カ月後、シスコシステムズを上場に導いた(そして創業者を追放した)ジョン・モーグリッジ氏の単独インタビューをしたのですが「シスコ? なにその会社? そんなよく知られていない会社の会長(直前にCEOをジョン・チェンバース氏に譲っていた)のインタビューとかしてくるぐらいなら、富士通やNECに話を聞いてこい」と言われてボツになったのは、私の力量不足(デスクにシスコシステムズの重要性を理解させられなかった)ですが、本件のAOLのニュースが載らなかったのは、それとはちょっと違う理由でした…(今度、ボツになった有名人とのインタビューとその理由とか書いたら面白いですかね…)。以前、社内Lightning Talksで話した「6年間の記者生活で学んだ3つのこと」に、このあたりの触りが載っています。