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関 信浩が2002年から書き続けるブログ。ソーシャルメディア黎明期の日本や米国の話題を、元・記者という視点と、スタートアップ企業の経営者というインサイダーの立場を駆使して、さまざまな切り口で執筆しています

先週書いた「英語での会議は「アジェンダを支配」せよ」は、こんな文章で終わりました。

英語での会議は「アジェンダを支配」せよ

次に私が挑戦したのは、リモートにいるグループと、フォーマルなミーティングでは取りこぼしたり、タイムリーな解決が出来ないような問題を、気軽に雑談を出来るようにすることで解消する環境づくりでした。

当時、勤務していたSix Apartは、当初はシリコンバレーと東京にオフィスがあり、その後パリとニューヨークで会社を買収してオフィスにしたため、社員間のコミュニケーションには腐心しました。

2006年8月にプロジェクトの終了を祝ってビデオ越しに日米で乾杯(同じ銘柄のシャンパンをあらかじめ手配)。サンフランシスコは夕方だが日本は朝で、この後に日本側は昼寝する社員が続出

4つあった製品のうち「Movable Type」については、2005年には、英語版発売 → ローカライズ → 他国語版発売、という開発体制を止め、サンフランシスコと東京にいるエンジニアを、一つの開発チームとする体制に移行しました。そのため、米国のプロダクトマネジャーと日本のプロダクトマネジャーの上に、私がジェネラルマネージャーとしてプロダクト開発を統括する立場になっており、米国と日本のセールスやマーケティングチームが、プロダクトチーム同様、私に直接レポートする体制になっていました。

当時はZoomのような無料で使えるビデオ会議サービスは無かったため、日米間の会議は、しばらくは音声のみでした。当時のマネジメントミーティングは、東京 - サンフランシスコ - パリで、各拠点から2人〜3人が出席していました。全員、それなりには英語を話せるので、3か月に1回ほどサンフランシスコに集まることで、意思疎通を図っていました(当時は6週間に1回、取締役会を開いていたので、取締役会の2回に1回は東京とパリから出張する、という状況でした。

一方、製品開発は、英語に不慣れなエンジニアばかりでしたので、日本からのコミュニケーションはメールとチャットが主体でした。これは米国側のエンジニアからすると、ちょっとしたやり取りでもメールを使わないといけないということで、フラストレーションが溜まりやすい状況でした。

そこで2004年秋にSeries Bで1000万ドルを調達したことをきっかけに、コミュニケーション環境を改善することにしました。当時は1台100万円以上するPolycomのビデオ会議システムが米国企業では一般的に使われていました。そこでSix Apartでも3台を購入し、サンフランシスコと東京、パリのオフィスにそれぞれ設置しました(冒頭の写真で、モニターの上部に設置されているのがPolycomの機材です)。

画像をオンにしてもらう工夫

Polycomの導入により、顔を見たり身振り手振りでコミュニケーションできるようになり、英語が苦手な日本側の社員にとってみると、電話と比べて格段にコミュニケーションが取りやすくなったようでした。


それでも米国側は、会議はクルマでの移動時にしたいと思う社員もいたので、「ビデオでないと英語が得意でない人間はコミュニケーションが取りにくい」ということを、米国側の全社ミーティングで頻繁に説明するようにしました(当時は、毎月、5人〜10人ほど新しい社員が入っていたので、半年もすると、なんでビデオが必要なの?という質問を受けるようになったしまうため)。

そのため、日本側に英語が話せる社員が揃ってくるまで、私は自分が直接は関係ないエンジニアの会議や、他のプロダクトの会議にも、必ず参加していました。

時差の関係で、全社ミーティングはサンフランシスコでは金曜午前(日本の土曜)、東京は月曜午前で開催していました。そこでサンフランシスコの全社ミーティングを毎回、ビデオ録画してもらい、その内容のサマリーを日本の月曜午前のミーティングで伝えるようにするとともに、海外を含め全社員がサンフランシスコの全社ミーティングの録画を見られるように、社内で共有するようにしました。

また米国で全社員が集まるような場があるときには私が米国に出張し、なるべく多くの米国勤務の社員と個人的な関係性を構築するようにしました(例えば毎年、米国では家族も呼ぶ新年会をやっており、米国内でリモート勤務している社員も集まっていました)。これは後に、さまざまな会議のアイスブレークに、とても大きな役割を果たしました。

気軽に話しかけられる雰囲気を作る

ただ、サンフランシスコにいる直属の部下とのコミュニケーションには苦労しました。日本では、席替えのたびに違ったグループの中に席を設定し、なるべく多くのメンバーと雑談できるようにしました。しかし米国にいる部下とは、週に1回ずつある、マーケティング&BizDevミーティングと、プロダクト&エンジニアリングミーティングの計2回しかミーティングの時間がありません。

もちろん、メールやチャットで相談を受けることもありますが、時差もあり、メールのやりとりが2日〜3日にわたってしまうことも少なくありませんでした。

そこで、Polycomをもう1セット購入し、東京とサンフランシスコの間で、常時ビデオをオンにしておく、という運用をはじめました。米国側は、グループのコンパートメント、いわゆる「島」にPolycomを設置し、日本側は私の席の横にテレビ会議システムのセットを置きました。

時差の関係で、サンフランシスコの夕方(15時〜18時)と、日本の朝(8時〜11時)が重なるので、この時間帯は、定例会議以外の時間は、お互いにビデオ越しに気軽に話しかけてもよい、という運用にしました。

実際には、いきなり声をかけられることもありましたが、多くの場合はチャットで「ちょっと相談あるんだけど時間ある?」などとメッセージが入り、そこからビデオに移行する、ということが少なくありませんでした。

そのままチャットで話をしてもいいのですが、ビデオ会議で話し始めると、他の人間も「それ、私も気になっていた」などと乱入できることもあり、特にマーケティングやBizDev系の話は、ビデオ会議で雑談するようにしていました。

15年経って出来ることが増えた

上記の話は2005年前後の話で、現在は無料のビデオ会議ツールもたくさんあります。またビジネス用のチャットツールも普及しており、雑談をするための下地は整っています。

しかしよく言われることですが、ツールは進化しても人間は進化しません。良いコミュニケーションのために必要な心がけは、あまり変わっていないのではないかと思います。

現在のSix Apart(事業は日本国内のみ)では、この頃の経験などを含め長年培ったノウハウをもとに独自に発展させたSAWS(Six ApartらしいWorking Style)を2016年に制定し、「基本、出社不要」のリモートワーク環境に完全移行しました。

Six Apart広報の壽(ことぶき)さんがまとめた書籍「リモートワーク大全」(ポプラ社)を読むと、今の日本の環境や、技術発展にあわせた、最新のリモートワークのノウハウが詰まっています。その中でも「雑談」は大きなキーワードです。

同書の49番目に解説されている「オンラインでもたくさん雑談しよう」には、以下の方法が推薦されています(一部抜粋)。

  • ビジネスチャット(Slackなど)の雑談専用チャンネルを活用する
  • ダイレクトメッセージでの雑談
  • 音声チャットサービスで雑談
  • 社員ごとの独り言チャンネル(日報ならぬ分報)を作る
  • オンラインのランチ会やおやつ会を開催する

各社にあわせた方法で、リモートワークでも雑談を誘発し、持続性があるリモートワーク環境を作っていけたらと思います。

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