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関 信浩が2002年から書き続けるブログ。ソーシャルメディア黎明期の日本や米国の話題を、元・記者という視点と、スタートアップ企業の経営者というインサイダーの立場を駆使して、さまざまな切り口で執筆しています

私は2014年にニューヨークに越してきてから、コワーキングスペースと自宅でのリモートワーク中心の生活を送ってきました。当初は日本に親会社と子会社があったのですが、初めて住むニューヨークでのビジネス拠点作りが仕事の中心だったので、日本とのやり取りは限定的でした。

それでも買収した子会社が、2時間の時差があるデンバー(コロラド州)にあり、米国のGMもニューヨークへの通勤圏内とはいえ、ふだんはペンシルベニア州にある自宅からリモートワークをしていたので、電話会議中心の生活でした。

外国語である英語で電話会議やビデオ会議をやる上で、自分がずっと気をつけていること。それは「アジェンダを支配する」ということです。

結論から言ってしまえば、会議が始まる前に、自分の議論したい内容をアジェンダにしっかり反映させること。それに尽きます。

ここまで言うと「アジェンダを書くのはスムーズな議事進行にとって当たり前」という反応もあるかと思います。

そこで私が「アジェンダを支配」しようと思ったエピソードについてお話します。

会議室に行ったらいつも遅刻する人間がホワイトボードにアジェンダを書いて待っていた

私がカーネギーメロン大学のビジネススクールに通っていたころ、最も好きな授業の一つが「交渉(Negotiation)」系の科目でした。当時の英語力では、複数の人間が参加する状況での英語での議論は苦手でしたが、その逆境の中でどうやって活路を見出すか、そんなことを考えるのが好きだったことが大きいかもしれません。

その日はロールプレイの日で、クラスは8人ずつぐらいのチームに分けられて、各人に3ページぐらいの「ロール(役割)」を書いたメモが配られました。設定はある大手食品会社の取締役会というもので、確か前半の1時間半がロールプレイ、後半の1時間半が、それについての感想戦だったような気がします(当時のシラバスやメモを探せば詳細も分かるのですが割愛します)。

ロールプレイの当日、英語が苦手なこともあり、少し早めに会議室(取締役会という設定なので、チームごとに会議室が割り当てられていました)に向かいました。ところが驚いたことに、いつも授業に遅れてくる南米出身のクラスメイトが、その日はなぜか、すでに会議室にいたのです。それだけでなく、その取締役会で議論する予定だった7〜8つの議題が、すでにホワイトボードに書き出してあったのです。

イメージ

そのときは「どういう風の吹き回しかな」とは思ったものの、自分の役割をこなすための作戦のおさらいをするので精一杯で、それ以上のことは深く考えませんでした。

実際の会議では、キャンペーンガールとこっそり付き合っている設定の重役の役割が、海軍から派遣留学されていた女性生徒に割り当てられてしまったハプニングなどもありましたが(感想戦では本人が「なんで私がこの役を引くかな」と笑っていました)、議論は白熱し、そして発散しつつ会議プレイは終了しました。

「私はこの会議で、最初のアジェンダ3つさえ決定できれば良かった」

10分ほどの休憩を挟んで、感想戦が始まりました。教授からのほぼ最初の質問は、アジェンダをホワイトボードに書いていた生徒に「どうしてアジェンダを書いていたんですか?」というものでした。

彼の答えは極めてシンプル。「役割の設定をよく読むと、私はこの取締役会で3つの決定をする必要があった。なので、この3つを必ず決議できるように、最初のアジェンダに入れることを思いついた。なので、ふだんは決して早く行かない教室に誰よりも早くいき、アジェンダを書ければ、この課題はほぼ達成できると考えた」とのこと。実際、彼は自然発生的に議事進行役を引き受けて、最初の3つの決議が終わるまでは極めて積極的に発言していましたが、「3つの決議が終わった後は、適当にやり過ごしていた」と笑っていました。

この授業の面白いところは、各人が「自分はどういう人間の設定」で、「何をしなければいけない」と考えて、「どんな行動をした」ということを、後から種明かしされること。「なるほど、あそこでのあの発言誘導は、こういう意図があったからなのか」と発見することもしばしばあり、とても楽しい授業でした(準備は大変でしたが)。

ビジネススクール2年目は、ビジネスプランコンテストにもたくさん出場しました。当時はピッチは15分、質疑応答は20分という長丁場で、とても「ピッチ」と呼べるような気軽さではありませんでした。しかし、上記のような授業を楽しんできたこともあり、少しずつ英語での質疑応答には慣れてきたと思っていました。

お行儀よく順番に質疑応答してくれない!

しかし、授業もコンテストも、フォーマットが決まったプレイでした。ネイティブスピーカーが我先にと自己主張しまくる場を仕切る方法が必要だと感じたのは、2002年にビジネススクールを卒業し、2003年秋に米国のスタートアップに合流した直後のことでした。


ビジネススクールやコンテストは、参加者がある程度のビジネス経験があることもあり、議論がメタメタになることはあまりありませんでした。

しかし合流したスタートアップは、20代前半の共同創業者2人と同じ年齢の1号社員の3人がメイン。それも3人とも英語のネイティブスピーカー。電話会議をしても、アジェンダもなければ、議論の目的もシェアされないまま、議論のための議論みたいになっていました。誰かが話しているところに他の人間がかぶせることも多く、決めなければいけないことが決まらないまま、3人が満足げに会議を終わらせることも少なくありませんでした。

当時(2003年)は安価なビデオ会議システムはなく、Google Documentのようなドキュメントのリアルタイムの共有なども出来ない状況でした。

ですので、私がやっていたのは、電話会議が決まったら「アジェンダは私が作成する」と自発的に手を上げて、議論が白熱(脱線)したら(英語で)「ちょっとアジェンダに戻ってみよう」とダラダラ議論を確実に止める方法を習得することでした。

そのうち会社が大きくなり、私が詳細なアジェンダを送らなくても、とても効率的なアジェンダを用意してくれる社員が米国側に自主的に増えてきたこともあり、アジェンダにかける時間を減らすことが出来るようになりました。

「アジェンダの支配」が、結果的に効率的な多拠点間の英語のミーティングにつながりました。

次に私が挑戦したのは、リモートにいるグループと、フォーマルなミーティングでは取りこぼしたり、タイムリーな解決が出来ないような問題を、気軽に雑談を出来るようにすることで解消する環境づくりでした。

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