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関 信浩が2002年から書き続けるブログ。ソーシャルメディア黎明期の日本や米国の話題を、元・記者という視点と、スタートアップ企業の経営者というインサイダーの立場を駆使して、さまざまな切り口で執筆しています

かつてタブーとされたダウン・ラウンドに、スタートアップが乗り気になるかもしれない」 ― こんな刺激的なタイトルの記事が、米Crunchbaseに掲載されました(原文は「Once Taboo, Startups May Be Warming To Down Rounds」)。

最近書いた記事(米国は空前の「投資家」市場 〜 スタートアップが不利な条件を受け入れていることが明らかに)で指摘したように、米国では投資家に有利な条件による資金調達が増えています。

特に、スタートアップにあまり馴染みのない投資条件(累積型配当、優先残余財産分配の倍率、参加型優先配当)が増えているのは、経営者が「ダウン・ラウンド(前ラウンドより低い企業評価額での資金調達)」を避けているからでしょう。

では、なぜダウン・ラウンドが忌避されるのでしょう。ざっくり言うと、次の3つの理由からになります。


  • 従業員の士気低下: ストック・オプションの価値が毀損する

  • 既存株主の持株比率低下: 大規模な希薄化が発生する

  • 会社の評判の低下: 「急成長」がストップしたと見なされる

ストック・オプションの行使価格を再設定する

大きな要因の一つは、従業員のインセンティブである、ストック・オプションの価値が毀損することでしょう。

株価がストック・オプションの行使価格を下回る状態のことを「out of the money」といい、オプションを行使しても利益を得ることが出来ません。ダウンラウンドで株価が、行使価格を下回った場合、多くの従業員が「この会社に残っても、ストック・オプションによる利益を得ることが出来るのだろうか?」という疑問を抱かせかねないため、従業員の士気が下がる可能性があります。

もっとも、多くの従業員が影響を受け、会社全体の士気が低下する可能性がある場合、ストック・オプションの行使価格を下げて再設定する、いわゆるリプライシングを実施することが出来ます。バランスシートや税務上の影響はあり、手間もかかりますが、この問題は解決可能です。

そもそも、上場企業のストック・オプションと異なり、株式の売却益を得られるのは、通常は上場や買収といった「Exit」を迎えたときに限られるため、Exitが近いレイター・ステージの会社でなければ、会社の(再)成長プランに従業員が納得していればリプライシングする必要はないかもしれません。

生き抜くための資金を調達できればダウンラウンドでも良い

また既存株主の持つ株式比率が下がることも大きな要因です。特に、資金調達は通常、取締役会が意思決定をしますが、取締役会は大株主から構成されますので、ダウン・ラウンドへの抵抗感は少なくありません。

ただ既存株主にとって最も避けるべきは、会社の倒産です。資金調達環境が悪化しているなか、資金調達をして会社を生き残らせることができるのであれば、ダウン・ラウンドになっても、そのチャンスを逃すべきではないでしょう。

「急成長」を見せなくてもよい

ダウン・ラウンドが嫌がられる最も大きな理由は、「成長が止まった会社」というネガティブなイメージが、スタートアップの将来性を大きく左右すると考えられているからでしょう。

スタートアップは2年ごとに、より大きな資金を調達して成長し続けないと生き残れない、というステレオタイプな見方が存在します。ダウン・ラウンドをしようものなら、この「成長」の競争から脱落したと見なされて、顧客や投資家が離れていってしまうのではないか、という恐怖を、スタートアップの経営者や投資家がもっているからです。

ただ、2022年から2023年かけての資金調達の環境の悪さは、10年に1回起きるかどうか、というレベルです。この環境下では「成長=善」「停滞=悪」という図式が成り立たないことは、スタートアップ・エコシステムのコミュニティはすでに理解しています。

冒頭に紹介したCrunchbaseの記事中でも、サンフランシスコにあるVCであるSignalFireのChris Farmer CEOは「今は、高成長よりも実行力が重視されています」と説明し、ダウン・ラウンドをすることで、会社の株主構成が持続可能になることを評価しています。

ベンチャー・デットやストラクチャード・ラウンドが急増

実際、スタートアップはダウン・ラウンドを避けるために、「ベンチャー・デット(借り入れ)」や「ストラクチャード」といったラウンドで、資金を調達しているスタートアップが増えています。

ストラクチャード・ラウンドは、さまざま条件を加えることで、ダウン・ラウンドを回避する、株式による資金調達です。記事の冒頭でもご紹介した「米国は空前の「投資家」市場 〜 スタートアップが不利な条件を受け入れていることが明らかに」に挙げられているような条件、例えば「Cumulative dividends (累積型配当)」、「Liquidation multiplier (優先残余財産分配の倍率)」、「Participation (参加型優先配当)」を組み合わせることで、投資家の回収リスクを減らしつつ、株価を維持するものです。

また日本でも関心が高まっているベンチャー・デットは、いわゆる融資ですので、利息込みで返済する必要がありますが、株式の希薄化は発生しません。

こうした手法を使えば、ダウン・ラウンドを回避しつつ、当座の運転資金を手に入れることが出来ます。

しかし良いことばかりではありません。

投資条件が肥大化し、新規投資家が敬遠し始める

ストラクチャード・ラウンドは複雑・難解です。スタートアップの経営に「複雑」「難解」を持ち込む時点で、スピードを重んじるスタートアップには、あまりそぐわないことが分かります。専門家の手に委ねるためのコストも去ることながら、経営者がしっかりとプラスとマイナスを理解する必要があります。そのための時間が、会社の経営スピードを損ねます。

また、条件によっては、会社がそこそこのExitをした場合でも、創業者や初期の投資家がリターンを得られない、ということも起き得ます。

例えば、ストラクチャード・ラウンドで、4倍の優先残余財産分配権を設定して10億円の出資を得て、評価額が33億円になったスタートアップがあるとします。会社が40億円でExitした場合、ストラクチャード・ラウンドの投資家は、10億円の投資から、40億円を優先的に割り当てられます(4倍の優先残余財産分配権で40億円=10億円×4)。ですので、創業者や社員、初期の投資家への分け前はゼロになってしまいます。

取締役会が過半数を握っていれば、創業者や既存投資家は、この買収オファーを蹴ることが出来ます。しかしストラクチャード・ラウンドの出資者に、取締役会の過半数を握られてしまうと、こうした不利なディールでも進んでしまいます。なので、こうした資金の受け入れでは、取締役会の構成にも気を配る必要があります。

さらに一度、こうした投資家有利の投資条件を受け入れてしまうと、その後の資金調達にも影響が残ることがほとんどです。というのも、基本的に後から入る投資家ほど、より多額の投資をする代償として、以前のラウンドより有利な条件をつけるのが一般的だからです。

実際、Next Frontier CapitalのPartnerであるWill Price氏はブログ記事「Down Rounds, Inside Rounds vs Structured Rounds」の中で次のように指摘しています。

ダウン・ラウンド、インサイド・ラウンド vs ストラクチャード・ラウンド

前略

2002年から2003年にかけて、私はある一貫したパターンに気づきました。ポストマネー・バリュエーションが高い企業は、市場価格を求めているというガイダンスを提供してレイズに臨み、その後、インサイダーは、事前の清算優先権などを維持したまま、新しいリード投資家の価格でインサイドラウンドを行うというものでした。このゲーム理論は予想通りに展開され、新規リード候補者は、会社の資本再構成のために多大な労力を費やすのに、インサイド・ラウンドで常に負けるのは意味がないことに気付きました。市場は、こうした色がついていない新しい企業に焦点を移し、評価額が膨らんで毛嫌いされている古い企業とは縁を切りました。このゲーム理論の実現により、新規投資家はインサイダーの行動を信用せず、インサイダーはインサイド・ラウンドに嫌気がさし、LP(ファンドへの出資者)から「良い金を悪い金に換えている」という悪評に直面し、新規資金調達ができない会社が何世代も続いたのです。

後略

返済原資が足りないと、投資家が敬遠

ベンチャー・デットは、基本的に「返済しなければいけない負債」であることが、次の資金調達で不利に働くことがあります。もし株式による資金調達時に、会社が近々返済しなければいけない負債が残っており、それが売上・利益で充当できない場合、投資家が最初に懸念するのは「出資した資金が、デットの返済に充てられる」ことです。

そのため、フリーハンドの融資ではなく、売上の多寡に応じて返済額を決めたり、ハードウェアを担保にとったり、さまざまなデット・ファイナンスの手法が、スタートアップ向けに提供され始めています。

ダウン・ラウンドは「ニュー・ノーマル」になるか?

現在の厳しい資金調達環境は、もうしばらく続きそうです。というのも2022年第4四半期の、ベンチャーキャピタルの資金調達状況は、ここ10年間で最低の水準まで落ち込んだからです(ベンチャーキャピタルの資金調達が世界的に急減、前年同期比で約3分の1に)。

もっとも引用した記事の多くは、投資家目線で書かれたものが多いため、多少は割り引いて考える必要があるかもしれません。スタートアップがダウン・ラウンドを受け入れるようになれば、一般的に投資家の立場は強化されるからです。

それでも既存投資家によるインサイド・ラウンドで十分な運転資金を手に入れることができなければ、過度に投資家寄りのストラクチャード・ラウンドで株価を維持するのにこだわるのではなく、ダウン・ラウンドを受け入れることも検討する価値があるでしょう。

ダウン・ラウンドは、新しい常識、ニュー・ノーマルになっていくかもしれません。